プログラムが「ちょっと書ける」のと「全然書けない」はビジネスにも雲泥の差となって表れる!
おはようございます^ – ^
ナカジ(@cp_nakajun)です。
僕のプログラミングスキルは背伸びしても英語で言うと「中学1年か2年」のレベル。
まぁそれでも、結構恩恵に預かってる気はしますし
ちょっと特殊だけどPuredataで音楽作ったり、これから映像もやってみようとか思ってますし
ちょっと書けるだけでもだいぶ楽しいのがプログラミングだと思います。
でも、ちょっと書けるともっと出来るようになりたくなるんだけどね。
先日はちょっとゴリゴリに生き残りをかけてテクノロジーを理解する必要性について書きましたが
今日はまた少し角度を変えて…
ドラッカーからの課題
下記のリンクから引用します。
「テクノロジスト」の社会的認知が必要
まさに出現しようとしている新しい経済と技術において、リーダーシップをとり続けていくうえで鍵となるものは、知識のプロとしての知識労働者の社会的地位であり、社会的認知である。もし万が一、彼らを昔ながらの社員の地位に置きその待遇を変えなければ、製造テクノロジストを職工として扱ったかつてのイギリスの轍を踏むことになる。その帰趨も同じところになる。
コンピューターの世界に限ってみても、コンピューター技術者やソフトウエア設計者と、経営者や事業部門責任者との「不調和」は至るところで目につく。情報システムを開発するプロジェクトの失敗理由は100%、関係者のコミュニケーション問題と言い切れるほどだ。
コンピューター技術者はコンピューターの仕事をすることを好む一方、マネジメントを担う人はコンピューター技術者の仕事をあまり理解しているとは言えないからである。このため、両者の間でしばしば齟齬が発生する。技術者が「これは面白い」と思って開発した技術やシステムが、経営あるいはビジネス上、困ったものになってしまう。経営者が技術者のために善かれと思ってうった施策が技術者のやる気をかえってそぐ、といった具合である。
先日の記事でもマネージメント層と技術層のすき間について触れたが
その理由は上記の引用部分を読んでもらえたら受け取ってもらえると思います。
そしてこの「すき間を埋める」、前出の僕の記事で言う「テクノロジスト」であるためには
なにも「スーパープログラマー」である必要はありません。
スキルレベルは高い(100とか1000)にこしたことはないのですが
少しもやったことがない「0」でなければ、「1」であれば良いのです。
なので「0」と「1」の間には雲泥の差があります。
引用部分を読んで頂ければ伝わりますよね。
というわけで、危機感を持った表現をすると
今後「0」の人はビジネスにおいても後塵を拝むことになります。
ですが
冒頭に書いたように
ちょっとでもプログラミングができると楽しいので
気軽に触れてみてはどうでしょうか!
というお話しでした。
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